こ〜たろ〜 の 「介護放浪記」

福祉・介護の世界で着のみ着のままに放浪中~!息抜き8割、本業2割、でなきゃ続けていけません…。

介護放浪記・season1 ⑦特別養護老人ホームのオープニング

私たち特養のスタッフは


建物の引き渡しを受けてから


開設までの約2週間


大きな荷物の搬入や


物品の確認と整理に追われ


その合間で様々な研修を行い


担当フロアごとに


入所される方々の情報共有と部屋割り


書類の作成をギリギリまで続けた…


開設前日の竣工式と内覧会では


会場のスタッフとしても動いている…







・・・・・・・・・・・・・・・・・・








「こんにちは~!」


「どうぞ、こちらへ~!」


「こんにちはっ!」


「ご招待状はお持ちでしょうか?」


「はいっ」


「ありがとうございますっ!」


「こちらでお預かり致します」


「お履物はこちらへお願い致します!」


「それでは」


「施設内を係の者がご案内致します」


「こちらへどうぞ!」


次から次へと来る招待客…


竣工式でテープカットをする市長や


市の福祉課職員


市内の自治会長から民生・児童委員


福祉団体代表の面々や教育委員会のお偉いさん


県と市の商工会議所に
同じく県と市の農業協同組合


選挙以外では見たことのない市議会議員


もっと見ることのない県議会議員まで


さらには当時の自○党国会議員の祝電も…



施設に伸びる道路には


お祝いの大きな花輪が沢山並ぶ


昭和の時代を感じる光景…


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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~






少し話はそれますが…


私が勤める社会福祉法人


病院グループの一つ


このグループの大元になる病院を立ち上げる時に多大に貢献したのが


昭和生まれの方なら何となく覚えている方もおられるかもしれない


「うちのお父ちゃん」で有名だった大○政子さん



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その当時はテレビで見る芸能人くらいにしか思っていなかったが


竣工式にピンクのドレス姿で登場した時には



(本当に貢献されてたのかぁ…)と



うわさではなく本当だったことに驚いたのを覚えている


ただ


それだけで多くの花輪が並ぶはずがない…


何故


多くの来賓や花輪があったのかというと


それもそのはず


大○政子さんは”芸能人で実業家”としての功績だけではなく


調べてみると「うちのお父ちゃん」も凄かった…


なんと大臣経験者の大○晋三さん


時の吉田内閣で


商工大臣・大蔵大臣臨時代理・運輸大臣を歴任

大臣になる前は



誰もがCMで聞いたことがあるであろう



「だけじゃないTEIJIN」で有名な



帝人の社長さんという人物でした…


そして



”昭和の略奪愛”としても当時話題になったそうです…

今更ながら



大○政子さんご夫婦は凄い方だったのだと



20数年経った今



調べてみて初めて気づきました…

(あの当時は、まだインターネットがなくExcelとWord程度のPC…)


(私程度の人間では調べようがない時代…)



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




話は戻ります…

T市には昭和40年代から60年代に建てられた



特別養護老人ホーム



2か所だけ存在しています…


それぞれの施設に歴史はありますが



今回は10数年ぶりに



T市に特養が新しく開設することに…


措置制度の時代…

特養に入所することを”良し”とする時代背景ではありません…

世間の目があります…

”世にいう大家族時代”です

”親の世話は家族がするもの”

もっと言うならば

”嫁いできた「嫁」がするもの”

そんな時代です…

家で親の世話するのが当たり前の時代に



なかなか特養をじっくり見学する機会など滅多にありません…

ほとんどの来客が



竣工式に参加して初めて見学をする…

見学案内での
 


来賓の方々の施設内を見る視線が熱く



興味津々で



とても印象的でした…

来賓者は見る物全てが初めてのようです…



「へぇ~~~っ」

「こんなところなのかぁ~~っ」

「この機械はどうやって使うの?」



見る人みなが質問します…


私たちもこの2週間



機械浴など実際に入って何度も練習しました



どの様な状態の方が使われるか説明します


感心する来賓の方々…


中にはストレートに聞いてくる方もおられます…



「ここで死ぬまでいるのかぁ~?」



「ワシはイヤヤなっ!」



「んで、ここ入ったら何ぼかかりますの?」


「・・・・・・・・・・・。」

答えに詰まるスタッフ…


「・・・・・・・・・・・・・・・・。」

絶句する同伴者…


措置制度時代の特別養護老人ホーム


入りたくても入れません


入所希望者は市役所へ申し込みをします…


申込者の中から誰を入れるかを決めるのは



行政(市役所)…


介護保険制度と大きく違うのは


自分でサービスを選ぶのではなく


行政がサービスの種類や内容を決めます

そして…



今のご時世よりもさらに



様々なしがらみが多くあった時代です…


色々な事情を抱えた人が入所されます…

何はともあれ



無事に竣工式と内覧会が終わりました…


さあ



明日からは



入所者さんが入って来ます…


※この時代は、入居ではなく入所という表現がされていましたのでそのまま入所で書かせて頂きました。ご了承ください。

介護放浪記・season1 ⑥人事異動

「こ〜たろ〜君」

 

「看護師を目指してみない?」

 

「学費は病院持ちで…」

 

「学校は3年制の学校なんだけど」

 

「土日はここの夜勤をしてもらってね…」

 

「うちの医療機関でこれからも働いてくれなら

そう考えているんだけど…」

 

 

 

看護部長は

私を真っ直ぐ見て

そう話し始めた…

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

無資格、未経験で始めた介護の仕事

 

私が勤務している病棟を仕切るのは

T看護課長

 

半年が過ぎた頃から

課長が出勤の時はいつも

「こ〜たろ〜君、行くよ!」と言われ

課長と一緒に行動することが増えた

 

 

課長の担当業務に

一緒について回るので

必然的に

色々な処置の場面を見させてくれる

 

 

一人ひとりの患者さんの説明や

様々な病気

治療方法など

現場で教えられることは

何でも教えてくれた…

 

 

「どう?」

「楽しい?」

「分からないところはある?」

時々課長に尋ねられる

 

「勉強になりますっ!」

(知りたいと思うことを学べるのは

何かと楽しい)

 

(学生時代に学ぶことが楽しいと思えたら

また違ったかも…)

 

 

ケアワーカー業務をこなしながら

看護師の業務にもついて回る

 

 

やり甲斐はある

 

 

そんな毎日を過ごしていた

 

 

1年が過ぎた頃

ある日

看護部長に呼ばれた…

 

(何かやらかしたかな?)💦

 

色々と普段の行いを思い出すが

呼ばれるようなことをした覚えもなく

訳もわからず看護部長室へ

 

 

部長室の前に立ち

フッと思い出す…

 

(ここへ来るのは1年ぶりかな?)

 

1年ちょっと前

採用面接の時以来だ…

 

 

「失礼しますっ!」

ノックをして

中からの返事を待つ私…

 

「どうぞぉ〜」

直ぐに返事があった

 

ガチャっとドアノブを回す

 

正面の机にN部長が

入り口を向いて座っている

 

「入ってっ!」

口調は穏やか…

 

 

(怒ってなさそうだね?)

 

手前の応接用ソファーへ促され

テーブルを挟んで向き合うように座る

 

 

ニコッと笑って

N看護部長が話し出した

 

 

「こ〜たろ〜君」

 

「看護師を目指してみない?」

 

「学費は病院持ちで…」

 

「学校は3年制の学校なんだけど」

 

「土日はここの夜勤をしてもらってね…」

 

「うちの医療機関でこれからも働いてくれなら

そう考えているんだけど…」

 

 

 

看護部長は

私を真っ直ぐ見て

そう話してくれた…

 

 

(看護師?……)

考えてもいなかった…

 

 

そういえば…

同じ職場に1人

病院が学費を負担して

平日は学校

土日だけ病棟勤務をしている

スタッフを思い出した

 

 

少し間をおいて考えた…

 

 

 

しかし

 

私には

切実な問題がある…

 

 

「N部長…」

「ありがとうございます…」

「ただ……」

 

話を続けようとしたところを

N部長がスッと割って入った…

 

「彼女のこと?」

N部長は私の言おうとすることを

理解してた…

 

 

採用面接の時に

何故この仕事を選んだのか

質問された時に

彼女のことを話したからだ…

 

 

私には

同居している彼女がいた

彼女は毎日通院をしなければならない

両手に松葉杖をついて歩く…

 

自由に動かない左足…

 

膝の可動域にも制限がある

 

そんなこともあり

通院する病院の前にあるマンションに

部屋を借りている

 

私が仕事で居ない時でも

あまり負担をかけずに

通院できるように…

 

 

「すみません…」

「大変ありがたいお話なのですが…」

「生活があるので学生にはなれません…」

 

N部長は

私が何と答えるか分かっていたようだ

 

 

「看護師の仕事はとてもやり甲斐があります」

「だけど、平日に学校、それに週末の夜勤では…」

「彼女に向き合う時間がありません…」

「とても良いお話なのですが…」

「… … … … …。」

これ以上

言葉にしなかった私に

 

 

「生活はやっていけてるの?」

事情を知っているN部長は心配する…

 

 

「カツカツですが何とか…」

苦笑いする私…

 

 

当然N部長は

私が安月給なのも知っている…

 

 

気持ちを切り替えたN部長が

私にさらに聞いてくる

「もう少し夜勤の回数が増えても大丈夫?」

 

 

(5〜6回くらいなら大丈夫かな?)

そう考えていると

 

私の返事を待たずに話すN部長

「知ってると思うけど」

「年明けに特養と老健がオープンするのよね…」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

病院の敷地内に現在建設中なのは知っている

毎週火曜日の全体朝礼で

厚労省が打ち上げたゴールドプランに合わせ

うちの病院が医療法人で老健を開設

更に全体をまとめるK会グループを立ち上げ

傘下に社会福祉法人も設立し特養を開設する

毎回事務長が話をしているので

嫌でも覚える…

介護保険制度に合わせて

厚労省が新たに進める
ゴールドプラン構想の第一歩だそうだ…

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

N部長が続けて話す…

 

「こ〜たろ〜君」

「特養のオープニング手伝ってみる?」

「勉強になるわよ?」

 

(特養?…)

 

(オープニング?…)

 

「夜勤が増えるけど…」

「その分手当ても基本給も上がるから」

「もう少し、生活が楽になると思うわよ?」

「興味ある?」

 

 

黙ってうなずく私…

 

 

「分かりました」

「では、そっちの方向で…」

「看護師の件は残念だけど…」

「少しでもあなたのプラスになるならいいわね?」

ニッコリ笑うN部長

 

「あぁ、それと…」

「M看護師長にはあなたの彼女のこと話すわよ?」

 

(ん? 何でM師長?)

 

M看護師長は私が勤務する4Fの看護師長だ…

 

 

「特養の現場責任者にM看護師長がなるのよ…」

 

(へぇ〜〜…)

 

(だけど何で?)

 

不思議がる私にN部長が一言付け加える

 

「それに、病院枠であなたを看護学校へ推薦してきたのはM看護師長なのよ?」

 

「えっ!」

思わず声に出てしまった…

 

 

 

私が何故

介護の世界に足を踏み入れたのか

N看護部長は知っている…

 

そして

後に分かったことだが

M看護師長は

私の彼女を知っていた…

 

 

 

こうして半年後…

 

法人をまたいで

企業グループ内の異動が決まった…

 

介護放浪記・season1 ⑤死化粧…

とても綺麗なお顔だった…

 

まるで眠るように

Yさんは

静かにベッドへ横たわっている…

 

 

きれいに身体を拭き終えると

真新しい浴衣に袖を通した…

 

 

「こ〜たろ〜君もしてあげて」

先輩看護師に促され

 

Yさんの口元に紅をひいた…

 

 

 

生まれて初めて

亡くなった人の顔に触れた…

 

でも

不思議と怖さはなく

 

只々

安らかに眠って欲しいと思った…

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

介護保険がスタートする3年前

 

私が勤める病棟は

お年寄りばかりでした

 

A棟・B棟合わせて60床ほどのフロア

9割以上が高齢者…

 

今の老健(老人保健施設)と変わらない状況

日常のケア内容も同じ

 

病院とは名ばかりで

 

この時代の地域の病院は

 

"在宅で過ごすことの出来ない…"

または、

"お世話をする家族がいない…"

それでいて

"特別養護老人ホームへまだ入れない…"

どこにも行き場のない

そんな高齢者を受け入れる…

 

俗に言う

社会的入院

 

最後の砦のような感じでした

 

"終の住処"として…

 

 

 

 

介護保険制度以前

まだ、「措置制度」の時代です…

 

 

その当時

毎日午後からのレクレーションと

週2回の入浴

人によってはリハビリもありましたが

それ以外を過ごすのは

ベッドの上です

 

病院ですから

ベッドの上で過ごすのは当たり前なのですが

社会的入院となると

治療という治療はほぼありません

 

長い人だと

5年以上も入院をされています

 

 

そのような状況の中

凛とした白髪の老婆がいました…

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「Yさん!」

「お食事ですよ〜」

そう言って食事をお持ちすると

 

いつも決まって

先ずはきちんと

膝の辺りに手を重ね

軽くお辞儀を...

 

顔を上げると

何とも言えない笑顔で

 

「ありがとう」と…


周りを和ませるような品があり

”良い環境で育ったんだろうな?“と

誰でもがそう思う立ち振る舞い

 

私の大好きなおばあちゃんの1人です

 

 

私の勤めるA棟は約30床

ナースステーションを挟んで

両側に病室があります

 

ステーションの右側に

4人部屋が4つ並んでいて

奥から女性3部屋

手前に男性1部屋

 

奥から2つ目の部屋を

入って左手前にYさんはいます

 

病院は

午後になると面会者が訪れます

 

しかし

Yさんには面会者が来ません…

 

いつも一人

ギャッジアップしたベッドにもたれかけ

静かに本を読んで過ごしています

 

 

普通に日常の会話はされますが

ご自身のことは

あまり語りません…

 

 

以前、夜勤の時

一緒のシフトだった看護師に

少しだけYさんのことを

聞いたことがあります

 

 

Yさんは10代後半で

5つ年上のご主人と

ご結婚されましたが

残念ながら

子宝には恵まれませんでした

 

その分

ご主人とはとても仲が良かったそうです

 

そして

30半ばでご主人が独立して会社を興し

その会社を

一緒に切り盛りされてきました

 

また

会社が軌道に乗り安定してくると

ご夫婦で仲良く色々な所へ

よく出かけられたそうです

 

あまり自分のことを話さないYさん

時々、会話が弾むと

スタッフにポロっと自分のことを

話されたようです

 

 

しかし

Yさんが60歳を過ぎた時

とても仲の良かったご主人に先立たれ

お一人で10数年過ごされたとのこと

 

 

この病院へ来られたのは1年前

腰痛が酷く総合病院を受診

検査をするうちに

膵臓にがんが見つかりました…

 

骨転移もあり

腰椎に…

 

積極的な治療を望まなかったYさん

 

治療をしないとなると

総合病院で入院は続けられません…

 

そのため

同じ市内にある

私が勤めるこの病院へ来られたそうです

 

現在は痛みの緩和をしながら

毎日を過ごしています

 

 

 

そんなYさんの

少し様子が変わったのは

半年ほど経った時でした

 

いつも読書をされているYさんでしたが

横になっていることが増えました

 

 

また

時々険しい顔つきになることも…

 

もしかしたら

疼痛コントロールをしても

痛みに耐えられなくなって

いたのかも知れません…

 

そんな日が

1週間ほど続くと

日に日に食欲もなくなり

 

起き上がる体力も

なくなってきました…

 

 

あまり食事を召し上がることが

なくなっても

食事の配膳をすると

身体を起こすことは出ませんでしたが

軽く会釈をして

「ありがとう」と言って

ニコッと笑顔を見せてくれます

 

とても我慢強い方だったと思います

 

 

最初に様子が変わってから

ひと月も経たないうちに

 

目を開けることも

なくなってきました

 

私たちの声かけには

少しだけ反応をしてくれていますが

声を出すことも難しそうでした…

 

 

Yさんの声を聞いたのは

3日ほど前に朝の挨拶をした時に

小さな声で「おはよう」というのが

最後でした

 

 

それから1週間

私が夜勤をしている時でした

 

ベテラン看護師さんが

「Yさん、今晩かもね…」と

心電図の波形見ながら言いました

 

最初は何を言っているのか

わかりませんでしたが…

 

 

深2時過ぎ

その意味が分かりました…

 

 

ナースステーション内で

記録を書いてる時のことでした

 

小さく間隔を空けて波打つ波形

ピィーッ…  ピィーッ…

 

段々ゆっくりと…

ピィーッ……    ピィーッ……

 

更にゆっくり…

 

ゆっくり…

 

 

そして

少し大きく波打った時

「こ〜たろ〜君、一緒に来てっ!」

 

ベテラン看護師が立ち上がり

私に声をかけました

 

一緒にYさんの病室へ

 

 

大きく肩で呼吸していた肩の動きが次第に止まり

 

微かに顎が動くだけに…

 

 

Yさんの両側に私たちは立ち

手を握っていました

 

数分の出来事が

何十分にも感じる時間の流れでした…

 

 

そして

 

最後は

夜勤者6名に見送られ

 

Yさんは

静かに旅立ちました…

 

 

眠るように

安らかな顔で…

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーENDーーー

 

 

 

 

私たち夫婦にも子供がいません

 

年を重ねてくると

それほど先ではない

私たちの老後を

時々考えることがあります

 

 

すると必ずと言っていいほど

Yさんのことを思い出します…

 

 

あの時の手の感触を

私は今でも覚えています… 

 

 

 

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介護放浪記・season11 ②人を知ること・理解すること(後編)

「どうやって行くの?」

 

「無理っ!」

 

「無理っ!無理っ!無理~っ!」

 

「無理だよっ!」

 

「絶対っ!」

 

「歩けないでしょっ?」

 

「これじゃあ行けないよっ!」

 

Aさんは、玄関先まで歩く母親を見て

声を張り上げるように叫んでいる…

 

ちょうどその場面に

スタッフが到着したようだ…

 

 

 

(前編)に興味をお持ちの方は、こちらからお願いします↓

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通院当日…

 

私は、どうしても外せない初回面談があり

母親との関係構築ができているスタッフ(看護師)が

通院対応をしてくれた。

 

 

(まぁ、普通に考えて、私が行くよりも

医療のエキスパートに同行してもらう方が

利にかなっている…)

 

 

 

1階エントランスにあるエレベーター

構造上、建物の手前側に設置されている

 

親子が住む住居は

マンションの中層階

エレベーターを中心に

左側に3世帯

右側に7世帯ほどある一番奥に位置する

 

健康な私たちでも結構な距離…

エレベーターから30mほど歩く…

 

 

約束の時間より少し早めに到着したスタッフ

1階の入り口前に車を停め

トランクからある物を出した…

 

そのある物(用具)を押しながらエレベーターへ

 

スゥーーーーっと扉が開き

居住フロアへ

 

降りて右へ曲がり

ある物を押しながらスタッフは奥へ奥へと…

 

「だからぁ~~っ!」

「無理でしょっ!? 」

 

4~5世帯くらいの玄関ドアを通り過ぎたあたりから

何やら物々しい奇声にも近い声が聞こえてきた…

 

(んっ!?)

(もしかして…)

 

予想通り、Aさん親子だ…

 

張り上げる声の内容からも

大体の状況は掴めた

 

母親が無理して玄関先まで歩いている…

 

(「リビングで待っていてね?」)

 

先日、そう何度も何度も話しかけていたが

そうはいかなかったようだ…

 

几帳面で時間を気にするAさんが

母親を急かし

玄関まで出てくるよう促している…

 

 

汗だくのAさん

余裕のない顔つき

スタッフが来たのを見つけて

 

「あっ!!」

「来たっ!」

「もう、大変なんだよぉ~~~っ!」

 

玄関のドアを足で止めながら

汗を拭き始めるAさん…

半端ない汗の量だ…

 

玄関の奥を覗きこむと

半分靴を履きかけてる母親…

 

「なかなか靴が履けなくて…」

母親を見ながらボソッとAさん…

手伝う訳でもない…

 

サッと手伝うスタッフ

 

 

「こんなんじゃ、病院行けないでしょっ?」
「ここ歩けないでしょう?」

エレベーターまでの通路を指さすAさん…

 

「ねぇ!?」
「無理でしょ?」

頭の中は”行けない”の文字でいっぱい…

 

そんなAさんを見て

スタッフが一言

「Aさん、そこの車椅子をこちらへ持ってきてくれますか?」

 

「えっ!?」
「これっ?」
「そっちへ持って行ったらいいの?」

 

「ありがとうございます」

車椅子をサッと引き寄せ

お母さんの腰を軽く抑え

座面へ誘導するスタッフ

 

スッと腰を下ろす

 

その間、数十秒…

 

さっきまで騒いでたAさんが静かになった…

 

 

ボソッとAさん

「へぇ〜〜っ」
「そんなん出来るんだ…」

 

 

「さっ、戸締りをして出かけましょう」

何も無かったかのように親子に話しかけるスタッフ

 

 

一路、病院へ…

 

 

病院へ着くとAさんの妹が入り口で待っていた

 

「あっ!Yだぁ!」

 

嬉しそうに言うAさん…

 

母親は、「あなたも来たの?」というような表情で娘を見る

 

「この度は、すみません」

「よろしくお願いします」とお辞儀するYさん

 

親子3人と一緒に中へ入る

 

受付で声をかけると 

 

地域連携室の看護師が足早にやって来た

 

事前に打ち合わせをしていたので

直ぐに診察室前に案内された

 

さほど待つこともなく名前を呼ばれた

「Hさぁ~ん」

「診察室へどうぞ!」

 

血糖値の測定

血液検査

 

待合スペースで検査結果が出るまで待つことに

 

落ち着きのないAさん

キョロキョロ周りを見ながら

「いっぱい人がいるねぇ~」

 

すれ違う人を目で追う

 

30分ほど待ったであろうか

Aさんは、もう病院の待合スペースに飽きたようだ…

何やら独り言を喋っている…

 

 

再び名前を呼ばれ

診察してへ…

 

担当医が母親に分かりやすく説明をしてくれた

 

丁寧に順序立てて話を進める

むしろ、後ろにいるAさんに分かるようにといった感じだ…

 

血糖値上昇

脱水症状

食欲低下など

糖尿病憎悪が見られる

 

結果、通院での治療は難しいと判断

血糖コントロールの為、このまま入院に…

 

 「えっ!?」
「入院っ?」

表情が固まり

スゥーーーーッと血の気が引くAさん…

 

入院手続きを進める為

一旦、診察室の外へ

 

診察室を出るや否や

「お母さんが入院するなんて聞いてないよっ!」
「聞いてないっ!」
「何で?」
「お医者さんに診てもらうだけのはずでしょっ?」
 「そんなんっ、聞いてないっ!」 
「何でっ!?」 

 

 

 

それもそのはず

今、入院が決まったのだ

 みんな聞いていない…

 

 

「わぁぁぁぁぁ~~~~~~~っ!」

 

上半身を丸め

両手で顔を覆い

泣き始めたAさん…

 

院内に響き渡るほど大きな声で…

 

周りも気にせず泣く子供のように…

 

 

母親も妹もこんなAさんを見るのは初めてのようだ…

 

「仕方ないわねぇ~」というような表情で見つめる母親…

 

色々と気を遣っていた妹Yさんは

泣きじゃくる兄をみて

疲労が一気に押し寄せたのか

ベンチに座り込んでこめかみを抑える…

 

 

思いっきり個性を表現するAさん…

今までずっと両親に守られて育ってきた…

 

7年ほど前

父親を亡くした時は

ずっとそばに母親がいた…

 

今回、人生の中で初めて

一人で生活をしなくてはいけない

 

母親が帰れないこと

自分一人になること

これから生活をどうするのか…

 

色々なことが一気に頭の中に押し寄せる

混乱した気持ちを落ち着かせる術を知らない…

 

両親が守ってくれてたから

周りの目など気にせず生きてきた

 

だからこそ

躊躇なく泣くという行為で

自分の感情を素直に表現ができたのだ…

 

 

 これから2ヶ月間

一人の生活が始まる…

 

介護放浪記・season11 ①人を知ること・理解すること(前編)

ちょうど、WAIS-Ⅲの検査が終わった時だった

 

 

「何でこんなことしなきゃいけないのっ!」

 

「あ~~っ、もう、疲れたっ!」

 

「あ~~っ、しんどいよっ!」

 

「意味わかんないっ!」

 

「これっ、する意味あるぅ?」

 

 

自立支援医療申請のサポートで

こころのクリニックに同席をしていた時、

支援対象者の彼(Aさん)が発したセリフ…

 

担当医の目の前

廊下まで聞こえるような大きな声だった…

 

 

 

私は、思わず心の中でため息をついてしまった…

(はぁぁぁ………) 

 

(これは、誰のための検査なのか?)

(この検査は、何で行っているか分かってる?)

声に出してしまいそうになる…

 

 

(いけないっ…)

一瞬だが、フッと頭の中で考えてしまった自分…

(まだまだ、人間ができていない…)

 

 

冷静に思考回路を回すため

ちょっと、深呼吸をしてみた

(ふぅぅぅ~~~~っ、)※一度息を全部吐いてから

(すぅぅぅ~~~~~~~っ、)

(はぁぁぁ~~~~~っ!)

 

少し自分を取り戻した私は

目線を戻す 

 

Aさんは、まだ、

独り言とは思えない声のボリュームでブツブツ言い続けている…

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いつも私の拙い記事を読んで下さり

本当にありがとうございます!

私自身の福祉業界20数年間の体験を

"放浪記"として始めたブログですが、

まだ、season1 を書き始めたばかりです。

しかし…

今回の内容がseason11に当てはまるのでは?

という事に気づいてしまいました。

現在進行形がseason11です。

なので、この度の記事を放浪記として

掲載したいと思います。

まだ、season2〜season10を

掲載していませんが

なるべく放浪記・season1から順次アップ

出来るようにしていきたいと思います。

気長にお付き合い頂ければ幸いです。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

Aさんが、私たちに「助けてっ!」と

声をあげたのは5か月前

 

母親が動けなくなった時、

定期的に通っている薬局の薬剤師さんの言葉を思い出し

私たちに電話をかけてきた

 

恐らく、

そこへ行きつくまでに数日はかかっただろう…

 

 

「お母さんが、動けなくて!」

「お母さんが、足が痛くて動けないんだ!」

「毎年初詣に家族で行くんだけど…」

 

 

話す内容はあっちこっちに飛ぶ…

 

しかし、必死に伝えようとしていることは感じ取れる

 

こんな時は、

急かさず時間をかけ

相手のペースで話してもらい

聞いた情報を手元でノートに書き込みながら整理していく

 

色々と全体像を把握するまでに時間はかかったが

何となく事情は呑み込めた

 

病気の事や

 

注射のこと(インシュリン注射)

 

受診が滞っていることも

 

色々な不安をいっぱい話してくれた

 

父親が7度も転勤したことや

 

18時に必ずお風呂に入ることまで…(笑)

 

 

話す口調が少し落ち着いたところで

Aさんと母親に私たちが会いたいことを伝えてみる…

 

一瞬、考え込むAさん

「わかった、うちに来てくれるの?」

「いつ? 何人で?」

 

二転三転する日程調整…

一日一日のルーティンが決まっているようだ…

決まり事は動かせない…

納得いくまでAさんの都合に合わせ調整する

 

 

 

 

緊急の初回訪問

Aさんとのファーストコンタクト

おどおどしながら話すAさん…

何かしらの発達障害があることは直ぐに察した

 

玄関先で身構える母親

「あなた達は何なの?」

「私にいったい何の用?」

言葉に出さないが顔つきから伝わってくる…

 

「こんにちは!」

「仕事で、この地域のみなさんの様子を伺っているんです!」

「今日は、Aさんとお話がしたくておじゃましました!」

 

自分のことではないと分かるや否や

”息子のことなら”と機嫌よく招き入れてくれる母親

 

「おじゃましまぁ~す!」

「失礼しまぁ~す!」

 

靴を脱ぎ、廊下へ行こうと進みだした時、

急に足を止め振り返るAさん 

 

止まったAさんの手前で慌てて急停止するスタッフ

ドンッドンッ… 3人が玉突きのようにぶつかる…

 

「あっ、玄関のカギはかけて下さい!」

思い出したように言うAさん

 

「あっ、はいっ、カギをかけておきますね!」

最後尾のスタッフがカギをかける

ガチャッ…

 

カギをかける音を聞いて安心するAさん…

 

歩き出したAさんの案内でリビングへ

 

踊り場を右へ

真っ直ぐ続く廊下には通販で購入したサプリなどが

封も開けずに複数置いてある…

 

「こっちへ入って下さい…」

先に入るAさん

 

後に続く私たち

 

リビングに足を踏み入れる

目の前に広がる光景…

 

表情には出さず

周りには分からないほどの

目の動きだけでアイコンタクトをとる

3人のスタッフ

 

テーブルの上は物で散乱

一応、種類を分けて冊子は積み上げている…

 

同じ空き瓶がカウンターに並ぶ…

 

山積みになっているスーパーの袋…

 

言葉に出さずとも

スタッフ3名が瞬時に役割分担

 

 

私は、Aさんからこれまでの経緯をアセスメント

 

もう一人のスタッフ(看護師)が母親の体調をチェックしながら

同時進行で母親の受診調整

 

そして、もう一人のスタッフが生活環境をさりげなく観察し情報収集

 

 

他に親族がいないか探す…

 

妹さん(Aさんの)がいた…

連絡先を確認、方向性が見えてきたら連絡することにする

 

 

母親の持病を確認

色々と問題が発覚する

 

受診の必要性が高まり 

無理くりかかりつけの病院へ受診予約をねじ込むスタッフ

(医療系に関してはガンガン動いてくれる頼もしい看護師のスタッフ)

 

 

母親の支援とAさんにも支援の必要があると感じるが…

もう少し情報が欲しい…

 

Aさんとの関係性を構築しながら

母親に受診が必要なことを伝える

 

「私は、病院へ行かなくても大丈夫よ!」

「ちゃんとご飯も食べてるし」

「だから、この前、病院の予約を断ったのよ」

受診を全く必要と感じていない母親…

 

「お母さんがそう言うんだったら行かなくても…」

母親の言葉に流され判断に迷うAさん…

 

Aさんに提案をしてみる

「妹さんに相談してみたらどうですか?」

 

「いやっ、妹に聞いても分からないと思う…」

Aさんの口調から

”お兄ちゃんのプライド”みたいなものが感じ取れる

 

私から、母親にお願いをしてみる

「娘さんと電話で話をしてみても良いですか?」

 

深く考えていない母親はすんなりOKをくれる

「いいわよ、話しても」

 

このチャンスを逃さないよう丁寧に話を進める

「Aさん、お母さんが話しても良いと言っていますが、

妹さんに電話をかけても良いですか?」

「イヤでしたら、止めておきますが…」

 

Aさんの返事をジッと待つ…

 

「うぅぅ~~ん…」

「僕ではうまく病院のことは説明できないし…」

モゴモゴと本音がこぼれ出るAさん

 

(電話することがイヤなのではなく、説明が難しいようだ)

 

「そうですよね、説明は難しいですよね」

「では、病院の事は私が代わりに説明しましょうか?」

Aさんの本音の部分を補う提案をする

 

「えっ!?」

「説明してくれるの?」

表情が少し和らぐAさん

 

「私で良ければ、代わりに説明しますよ?」

Aさんと母親の顔を交互に見ながら答える私

 

「じゃあ、妹に電話しようかな…」

Aさんが受話器を持ってボタンを押す

 

しばらくコール音が鳴って

「あっ、Yっ?、僕っ!うんっ!」

「お母さんのことで電話したんだわ」

「うんっ!、そんで今、来てもらってるんだわっ!」

「ちょっと職員の人に代わるねっ!」

 

あっという間に受話器が私の前に…

 

挨拶も手短に訪問へ至るまでの経緯と

母親への支援について簡潔に伝える

兄の動きは知っていたようだ

「そうだったんですね、ありがとうございます」

呑み込みの早い妹さん

 

母親の受診にはAさんと一緒に妹さんも同行してくれることになった

 

「Yさんも一緒に病院へ行ってくれるそうですよ?」

病院へ行く行かないではなく

Yさんが一緒ということに焦点をずらして

母親へ伝えると

 

「あら、そうなの?」

「じゃあ、行こうかしら?」

深く考えない母親は直ぐにOK

 

「だったら、私も一緒に行きますね?」

スタッフ(看護師)がニッコリしながら言う

 

「えっ!?一緒に来てくれるの?」

喜ぶ母親

(行く行かない問題は解決!)

 

母親としっかり関係性を作っているスタッフ(看護師)

 

何とか受診まで漕ぎ付けた

 

 

その後、日を改めて

母親の受診へ同行するが…

 

 

 

②へつづく・・・

 

冒頭に書いたWAIS-Ⅲ(ウェイス・スリー)とは・・・

 WAIS-IIIは、Wechsler Adult Intelligence Scale 3rd editionのことで、16歳以上の方に適応される知能検査です。

知能検査の目的は、知能指数(IQ)を測定することですが、WAIS-IIIを行う意味は、知能指数を想定するよりも測定する際の様々な検査の結果から、その方の得意な面、不得意な面について客観的に把握することにあります。

重要なのは、これからその方が生活していく上で、自分が何が得意で何が不得意であるかを分かることです。

その上で、得意不得意の部分を知って、不得意部分を工夫で補い、得意な部分が十分に発揮できるような環境(職業)を選択したり、作ったりしていくことができるということがしやすくなります。

発達障害の診断のためには、必ずしもWAIS-IIIは必須ではありませんが、うまく活用することはできます。

 

 

介護放浪記・season1 ④ Failure story(失敗談)・爪切り編


ケアワーカー(看護助手)の仕事を始めて2週間、患者さん30名の氏名も覚えた頃、午後からの業務で爪切りを担当した。

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誰でも自分の爪切りは経験あるだろうが、他人の爪を切るという経験は、子育て経験がある人以外はなかなかないと思う。

 

ましてや、子供などの身内ではなく、全くの赤の他人の爪切りとなると、医療従事者や福祉関連の仕事をしていなければ、そのような機会は先ずないだろう。

 

私自身、この仕事をやらなければ、人の爪を切るなんてことは、一生なかったかもしれない。

 

ということで、

 

1人目は、寝たきりのお婆ちゃん。(本当は患者さんと呼ばなければいけない)

 

全く動くことなく、全てのことに介助が必要な方だ。

 

声かけにもあまり反応がなく、目を開けることもほとんどない。

 

でも、ちゃんと聞こえていると思う。

 

爪切り用ニッパーや消毒液、ゴム手袋など必要物品を載せた台車を押してベッドサイドへ。

 

「◯◯さん!」

 

「起きてますか?」

 

「今から、爪を切らせていただきますね?」

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反応はないけど、聞こえているようだ。

 

「少し頭の方を上げさせて下さいね!」

 

ゆっくりとギャッジアップをする。(この時代は、ベッドの足元側の下にハンドルがあり、これを回してギャッジアップをする)

 

お婆ちゃんの左手の指から順番に爪を切り、ベッドの反対側へ回り右手の爪も。

 

ほとんど動かないお婆ちゃんの爪切りは、そんなに難しくない。

 

「◯◯さん!終わりましたよ!」

 

反応はないが、何となく表情が少し柔らかくなったような感じがする。(私個人の感想)

 

2人目、3人目と問題なく爪切りを終える。

 

会話のキャッチボールができる患者さんは、協力的なので助かる。

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4人目。

 

認知症状が進み、会話が成立しないお婆ちゃん。

 

とても明るく良く喋るが、話題は一瞬であっちこっちへ飛ぶ話題豊富な人だ。

 

入浴時も言葉では伝わらないので、本能的にお風呂が"怖いものではない"ということを五感へ働きかけ伝えていかないと暴れる。

 

流れ作業のお風呂タイムでは、着脱介助に形だけの声かけをする職員が担当すると、怖がって暴れていた。

 

早く入浴を進めたい職員とは裏腹に、"入浴"という言葉の意味が理解できない側からすれば、何か分からない言葉を言ってきて、いきなり服を脱がされ始めたら、そりゃ〜"怖い"と思うのが当たり前だ。

 

爪切りも然り。

 

何か分からないが、ニッコリ笑った人が自分の手をとり、キラキラ光る物で指先をいきなりバチンッ、パチンッと切り始め、指先に違和感のある刺激が伝わる。

 

爪切りを理解できなければ、指先に感じるこの刺激は心地よくない。

 

他の患者さんよりも導入部分に時間をかける。

 

優しく微笑みながらゆっくり近づく...

(私は怪しい者ではないよ...)

 

そっと優しく手をさする.,.

(私が触れることを受け入れてもらう)

 

指先などに触れながら、爪を触ることに慣れてもらう...

 

お婆ちゃんの話題豊富な会話を受けとめながら...

 

このようなことをじっくり積み重ね、そろそろ大丈夫かな?っという雰囲気になったところで、慌てず少しずつ始める。

 

パチンっ...

 

パチンっ...

 

順調に進み、左手が無事に終わった。

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さあ、右手...

 

ゆっくり、焦らずに...

 

パチンっ

 

パチンっ

 

親指、人差し指と順調に進む。

 

そして、中指の爪を切ろうと爪切りに力を入れた瞬間...

 

ガラガラガラ〜!

 

1人の看護師が勢い良く台車を押して病室へ入って来た!

 

「検温で〜す!」

 

びっくりして手を動かすお婆ちゃん。

 

動かすと同時にパチンっ!

 

爪切りが音をたてる!

 

「痛っ!」

 

リアルに反応するお婆ちゃん!

 

はっ!っと爪切りを引くと。

 

お婆ちゃんの中指の先からピューっと赤い細い糸が伸びるように血が吹き出した!

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(あっ!やばっ!)

 

漫画のように吹き出た血を見て、コンマ数秒だが眺めてしまった...

 

こんな風に血が吹き出ることあるんだ...

 

しかし、一瞬で我に戻ると

 

直ぐに中指を抑えて出血を止めにかかった。

 

吹き出る瞬間を見ていたさっきの看護師が、直ぐに近寄ってき処置をしてくれた。

 

「すみません。◯◯さん、大丈夫ですか?」

 

「申し訳ありませんでした」

 

パチンっとやってしまった一瞬だけ、本当に痛そうな表情になっていたが

 

看護師がバツが悪そうに処置をしてくれたあとは、ケロッとしていてもう忘れてしまったのか違う話をしている。

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改めて謝罪するが、お婆ちゃんには何のことか分からないようだった...。😓

 

う〜〜ん、いいんだか悪いんだか...😓

 

後日、面会に来られたご主人さんへ、再度謝罪をしました...🙇

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介護放浪記・season1 ③ひと昔前の入浴介助

 

病院へ看護助手として勤務するようになって1ヶ月、一通りの業務は覚えた。

 

初出勤の日に、ベテラン職員からの洗礼を受けたが、その時のことが逆に他のスタッフに受け入れてもらえるきっかけになったのかも知れない。

 

元々、学生時代にパレードやアトラクションのボランティアスタッフをしていたので、待ち時間に子どもたちに手遊びや皆んなで一緒にできるゲームネタを数十種類持っていた。

 

ベテラン職員に無茶振りされた時、円の真ん中でぐるっと患者さん全員の状態を観察し、皆んなでできそう手遊びを披露した。

 

半分くらいの患者さんは一緒に手遊びができ、残り半分は、ベテラン職員以外のスタッフがフォローに入ってくれたので、何となく全体で楽しめる程度に形はなった。

 

おそらくそのことが一晩でフロアスタッフ全員(看護師も含め)に伝わり、2日目からは、皆が声をかけてくれるようになっていた。

 

とても働きやすい環境になっていた。

 

そんな出来事もあり、看護師さんたちも色々と仕事を教えてくれ、日に日にできることご増えていった。

 

そんな中、普段の業務で看護師と看護助手が一緒に行うのが入浴介助だ。

 

週に2回、火曜日と金曜日が4FのA棟とB棟の入浴の日だ。

 

両棟が合同で入浴介助を行う。

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6割くらいの患者さんが車椅子で2Fにあるお風呂場まで移動する。残りの患者さんは、ベッドのまま移動。

 

役割分担は、入浴介助(中介助)、着脱介助(外介助)、移動介助の3つに分かれる。

 

男性スタッフは、主に外介助か移動介助が多い。

 

寝たきりの患者さんをストレッチャーへ乗せ替えたり、鉄製のベッド(20数年前は、現在のベッド程作りは良くなくとても重たい作りだった)は重く移動が大変なので男性に任せるらしい。

 

中介助に入る場合は、寝たきりの患者さんが入る機械浴が担当になる。

 

午前・午後も一日中入浴介助になるので、季節関係なく男性陣は汗だくになった。

 

一般浴は、釣り用の胸まである長靴とズボンが合体したようなゴムの長ズボンを履いて浴槽内まで介助する。

 

これもまた、全身汗でびっしょりになる。

 

1日4時間で約60人程に入浴してもらう。この日は、看護師・看護助手ともに毎回バタバタとする。

 

看護師は、主に褥瘡の処置やバルーンカテーテルの処置などを行うのに2人、機械浴に2人の計4人。

 

看護助手は、中介助に2人、外介助に2人、機械浴に2人、ベッドなど移動介助に2人の計8人が担当する。

 

本当に流れ作業のような感じで回していかないと終わらない。

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入浴室の前にある廊下とエントランスは、順番を待つ患者さんが車椅子に乗ってズラッと並んでいる。

 

一人ひとりの患者さんに向き合って介助をするなんて余裕は全くない状況だ。

 

それでも、「さっぱりした!ありがとう!」と言ってくれる患者さんも中にはいる。

 

何だか心苦しくなる...。

 

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介護放浪記・season1 ②ベテラン職員からの洗礼

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全くの未経験、何をするかも分からずに医療現場へ入職した私。

 

配属先は、4FのA病棟。

 

社会的入院(当時は、特養の順番待ちの方が多く、代替えの方法として病院へ長期入院されていた)のお年寄りが9割以上入院されている病棟だ。

 

 

初めて制服に袖を通す。

 

採用面接の際、その場で制服のサイズをはかった。

 

「とういことは、採用?」(心の声)

 

その時、淡々と事が進むので深くは考えなかった。

 

採用面接から1週間後、男子更衣室で自分に与えられたロッカーの前に立っている。

 

ここは、看護助手も白衣の制服を着る。

 

サイズは、ピッタリだ...。

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朝、8:30、病棟のフロアミーティングが始まる。

 

主任の看護師さんが集まったスタッフに声をかける「今日から働く、こ〜たろ〜(実際は名字)くんです、この仕事は初めてなので色々教えてあげて下さい」

 

そう言った後、私の方を見て軽く頷きながら合図をした。

 

(自己紹介ってことだな...)

 

「こ〜たろ〜と言います、宜しくお願いします」ペコリ。

 

「今日は、Yくんに一日付いて仕事を教えてもらって下さい、Yくん、よろしくお願い!」主任さんがYさんに言うと、Yさんがニッコリして「分かりました」と頷く。

 

Yさんは、とても真面目そうな方だ...。

 

午前中の3時間ほどYさんに付いて回ったが、見るもの全てが初めてのことばかりだ。

 

横文字の医療器具名や触ったことのない機材の操作方法の説明を聞き、簡単な業務から順番に教えてもらった。

 

覚えることは苦手ではない方だが、まるで別世界へ来たような感覚であり、数日間はメモ帳がかなり活躍した。

 

昼休憩後、食事の終わった患者さんの排泄介助とオムツ交換(この時代はこう表現していた)に回った。

 

Yさんは、手際よく数名の排泄介助をこなす。

 

「さて、次は、オムツ交換だね」Yさんは、私の方を見て言った。

 

何も分からず「はいっ」と返事をする私。

 

1人のお婆さん(この時は素人なので率直にこう表現するのが1番近いかな?)が寝ているベッドの前に来た。

 

「カーテンを閉めてくれる?」Yさんが言う。

 

「はいっ」

 

ぐるっとベッドを囲むカーテンを私が引くと、Yさんが優しくお婆さんに笑顔で挨拶をしている。

 

ニッコリ笑うお婆さん。

 

Yさんは、お婆さんの耳元に近づき「ちょっとお下を見させて下さいね」と周りには聞こえない程度に声の大きさを加減して優しくゆったりとした口調で声をかけた。

 

頷くお婆さん。

 

Yさんが、お婆さんの掛け布団をゆっくりと剥いでいく。

 

布団をまくって直ぐに何か異臭が鼻をつく。

 

「ん?、何だ?この臭い!」(心の中で思った)

 

Yさんは、お婆さんのパジャマのズボンを下ろしオムツカバーを外しながら私に「下用タオルを2〜3本取ってくれるかな」と、声をかけた。

 

直ぐ横の台車から下用タオルをとり、Yさんに手渡す時にお婆さんの臀部が汚れているのが目に入った。

 

臭いの原因は、この汚れだった。

 

私は、他人の便を間近で初めて見た...。

 

慣れるかな...。

 

一瞬、怯んでしまったが「やるしかないっ!」心の中で自分に言い聞かせた。

 

3チームに分かれて回り、30分程で排泄介助とオムツ交換が終わり、患者さんも落ち着いたところで、1番広い病室の真ん中に車椅子で移動できる患者さんが15人程集まり内側に向かって円になった。

 

(はて?何をするんだろう?)

 

こうして患者さんたちを見ると色々な方がいる。

 

うなだれて寝ている方や、手を叩いている方。

 

歌を唄っている方や、誰かに話しかけている方。

 

認知症の症状なのだろうが、私は全くの未経験者。

 

ただ、見ているしかなかった。

 

そんなざわついた中、1人のベテラン女性スタッフが患者さんに聞こえるよう大きな声でこう言った。

 

「はいっ、皆さん、今から新しく入ったお兄さんが、何かしてくれますよ〜っ!」

 

(ん?、えっ?)

 

(えっ?、聞いてないよ?)

 

「こ〜たろ〜くん、円の中に入って!」ニッコリ笑顔で私を見るベテラン女性スタッフ。

 

でも、目は笑っていない...

 

午前中から一緒に回ってくれていたYさんが、ため息をついているのが見えた。

 

もう1人、若い女性スタッフがその場にいたが、(えっ?いきなりフル?)と言うような表情で口を手で押さえている。

 

(あっ、皆さん聞いていなかったみたいだな...)

 

出勤初日、ベテラン職員から、いきなりの洗礼を受けた...。

 

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介護放浪記・season1 ①措置制度時代の介護

日本社会の高齢化に対応するために、平成9年(1997年)の国会で介護保険法が制定されました。

 

平成12年(2000年)4月1日から施行された介護保険法は日本の社会保険制度の1つです。

 

難しい話は私も苦手なので少し横に置き、介護保険が始まる前の時代、私が措置制度の時代に働いていた時のことを「season1」で少し話したいと思います。

 

  

①措置制度の介護

 

今でこそ「介護」という言葉は、誰でも聞き慣れたワードとなりましたが、少し時代を遡ると「介護」というもの自体を表に出すことを極力伏せる時代がありました。

 

核家族化する前の時代です。大家族で住んでい時代、介護ではなく「お世話」という言葉が多く使われていました。

 

「◯◯さんのお宅、お婆さんのお世話で大変なんですってね!」

「そのお婆さんの世話、お嫁さん1人でやってるみたいなのよ?」

「大変よねぇ〜、1人で世話するなんて」

 

このように、措置制度の時代「介護」とは一言も使いませんでした。今でも「お世話」というワードは使われますが、世間の風潮として介護保険制度の施行と共に「介護」というワードを使うことが増えてきました。

これは、身内のお世話を他者(サービス事業者)へ委託することが恥ずかしいことではないという感覚に国民意識も変化していくことに繋がっていきます。

 

しかし、season1の時代は措置制度。

「両親は、家でみるのが当たり前」

 

そんな時代に、私は病院で働き始めました。

 

丁度この時期、介護の担い手として介護福祉士の一期生が働き始めた時期でもありました。

 

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私が配属された病棟は、4FのA棟。AとBの2棟にわかれ各病棟に25床、看護師が20名ほど在籍し、日中は早出・日勤・遅出で6名、看護助手が4名勤務する体制でした。

 

職種は、看護助手。のちにケアワーカーと呼ばれるようになります。

 

 

看護助手として働く人の大半は、40代〜50代の女性がメイン。若手はとても貴重な戦力として期待されていました。

 

 

 

私は、無資格、未経験、何も分からなかったからこそ何も考えず介護の世界、多くのお年寄りが入院する病院へ飛び込めたのかも知れません。

 

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