日本社会の高齢化に対応するために、平成9年(1997年)の国会で介護保険法が制定されました。
平成12年(2000年)4月1日から施行された介護保険法は日本の社会保険制度の1つです。
難しい話は私も苦手なので少し横に置き、介護保険が始まる前の時代、私が措置制度の時代に働いていた時のことを「season1」で少し話したいと思います。
①措置制度の介護
今でこそ「介護」という言葉は、誰でも聞き慣れたワードとなりましたが、少し時代を遡ると「介護」というもの自体を表に出すことを極力伏せる時代がありました。
核家族化する前の時代です。大家族で住んでい時代、介護ではなく「お世話」という言葉が多く使われていました。
「◯◯さんのお宅、お婆さんのお世話で大変なんですってね!」
「そのお婆さんの世話、お嫁さん1人でやってるみたいなのよ?」
「大変よねぇ〜、1人で世話するなんて」
このように、措置制度の時代「介護」とは一言も使いませんでした。今でも「お世話」というワードは使われますが、世間の風潮として介護保険制度の施行と共に「介護」というワードを使うことが増えてきました。
これは、身内のお世話を他者(サービス事業者)へ委託することが恥ずかしいことではないという感覚に国民意識も変化していくことに繋がっていきます。
しかし、season1の時代は措置制度。
「両親は、家でみるのが当たり前」
そんな時代に、私は病院で働き始めました。
丁度この時期、介護の担い手として介護福祉士の一期生が働き始めた時期でもありました。
私が配属された病棟は、4FのA棟。AとBの2棟にわかれ各病棟に25床、看護師が20名ほど在籍し、日中は早出・日勤・遅出で6名、看護助手が4名勤務する体制でした。
職種は、看護助手。のちにケアワーカーと呼ばれるようになります。
看護助手として働く人の大半は、40代〜50代の女性がメイン。若手はとても貴重な戦力として期待されていました。
私は、無資格、未経験、何も分からなかったからこそ何も考えず介護の世界、多くのお年寄りが入院する病院へ飛び込めたのかも知れません。