私たち特養のスタッフは
建物の引き渡しを受けてから
開設までの約2週間
大きな荷物の搬入や
物品の確認と整理に追われ
その合間で様々な研修を行い
担当フロアごとに
入所される方々の情報共有と部屋割り
書類の作成をギリギリまで続けた…
開設前日の竣工式と内覧会では
会場のスタッフとしても動いている…
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「こんにちは~!」
「どうぞ、こちらへ~!」
「こんにちはっ!」
「ご招待状はお持ちでしょうか?」
「はいっ」
「ありがとうございますっ!」
「こちらでお預かり致します」
「お履物はこちらへお願い致します!」
「それでは」
「施設内を係の者がご案内致します」
「こちらへどうぞ!」
次から次へと来る招待客…
竣工式でテープカットをする市長や
市の福祉課職員
市内の自治会長から民生・児童委員
福祉団体代表の面々や教育委員会のお偉いさん
県と市の商工会議所に
同じく県と市の農業協同組合
選挙以外では見たことのない市議会議員
もっと見ることのない県議会議員まで
さらには当時の自○党国会議員の祝電も…
施設に伸びる道路には
お祝いの大きな花輪が沢山並ぶ
昭和の時代を感じる光景…
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少し話はそれますが…
私が勤める社会福祉法人は
病院グループの一つ
このグループの大元になる病院を立ち上げる時に多大に貢献したのが
昭和生まれの方なら何となく覚えている方もおられるかもしれない
「うちのお父ちゃん」で有名だった大○政子さん
その当時はテレビで見る芸能人くらいにしか思っていなかったが
竣工式にピンクのドレス姿で登場した時には
(本当に貢献されてたのかぁ…)と
うわさではなく本当だったことに驚いたのを覚えている
ただ
それだけで多くの花輪が並ぶはずがない…
何故
多くの来賓や花輪があったのかというと
それもそのはず
大○政子さんは”芸能人で実業家”としての功績だけではなく
調べてみると「うちのお父ちゃん」も凄かった…
なんと大臣経験者の大○晋三さん
時の吉田内閣で
商工大臣・大蔵大臣臨時代理・運輸大臣を歴任
大臣になる前は
誰もがCMで聞いたことがあるであろう
「だけじゃないTEIJIN」で有名な
帝人の社長さんという人物でした…
そして
”昭和の略奪愛”としても当時話題になったそうです…
今更ながら
大○政子さんご夫婦は凄い方だったのだと
20数年経った今
調べてみて初めて気づきました…
(あの当時は、まだインターネットがなくExcelとWord程度のPC…)
(私程度の人間では調べようがない時代…)
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話は戻ります…
T市には昭和40年代から60年代に建てられた
2か所だけ存在しています…
それぞれの施設に歴史はありますが
今回は10数年ぶりに
T市に特養が新しく開設することに…
措置制度の時代…
特養に入所することを”良し”とする時代背景ではありません…
世間の目があります…
”世にいう大家族時代”です
”親の世話は家族がするもの”
もっと言うならば
”嫁いできた「嫁」がするもの”
そんな時代です…
家で親の世話するのが当たり前の時代に
なかなか特養をじっくり見学する機会など滅多にありません…
ほとんどの来客が
竣工式に参加して初めて見学をする…
見学案内での
来賓の方々の施設内を見る視線が熱く
興味津々で
とても印象的でした…
来賓者は見る物全てが初めてのようです…
「へぇ~~~っ」
「こんなところなのかぁ~~っ」
「この機械はどうやって使うの?」
見る人みなが質問します…
私たちもこの2週間
機械浴など実際に入って何度も練習しました
どの様な状態の方が使われるか説明します
感心する来賓の方々…
中にはストレートに聞いてくる方もおられます…
「ここで死ぬまでいるのかぁ~?」
「ワシはイヤヤなっ!」
「んで、ここ入ったら何ぼかかりますの?」
「・・・・・・・・・・・。」
答えに詰まるスタッフ…
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
絶句する同伴者…
措置制度時代の特別養護老人ホーム
入りたくても入れません
入所希望者は市役所へ申し込みをします…
申込者の中から誰を入れるかを決めるのは
行政(市役所)…
介護保険制度と大きく違うのは
自分でサービスを選ぶのではなく
行政がサービスの種類や内容を決めます
そして…
今のご時世よりもさらに
様々なしがらみが多くあった時代です…
色々な事情を抱えた人が入所されます…
何はともあれ
無事に竣工式と内覧会が終わりました…
さあ
明日からは
入所者さんが入って来ます…
※この時代は、入居ではなく入所という表現がされていましたのでそのまま入所で書かせて頂きました。ご了承ください。