とても綺麗なお顔だった…
まるで眠るように
Yさんは
静かにベッドへ横たわっている…
きれいに身体を拭き終えると
真新しい浴衣に袖を通した…
「こ〜たろ〜君もしてあげて」
先輩看護師に促され
Yさんの口元に紅をひいた…
生まれて初めて
亡くなった人の顔に触れた…
でも
不思議と怖さはなく
只々
安らかに眠って欲しいと思った…
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介護保険がスタートする3年前
私が勤める病棟は
お年寄りばかりでした
A棟・B棟合わせて60床ほどのフロア
9割以上が高齢者…
日常のケア内容も同じ
病院とは名ばかりで
この時代の地域の病院は
"在宅で過ごすことの出来ない…"
または、
"お世話をする家族がいない…"
それでいて
"特別養護老人ホームへまだ入れない…"
どこにも行き場のない
そんな高齢者を受け入れる…
俗に言う
”社会的入院”
最後の砦のような感じでした
"終の住処"として…
介護保険制度以前
まだ、「措置制度」の時代です…
その当時
毎日午後からのレクレーションと
週2回の入浴
人によってはリハビリもありましたが
それ以外を過ごすのは
ベッドの上です
病院ですから
ベッドの上で過ごすのは当たり前なのですが
社会的入院となると
治療という治療はほぼありません
長い人だと
5年以上も入院をされています
そのような状況の中
凛とした白髪の老婆がいました…
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「Yさん!」
「お食事ですよ〜」
そう言って食事をお持ちすると
いつも決まって
先ずはきちんと
膝の辺りに手を重ね
軽くお辞儀を...
顔を上げると
何とも言えない笑顔で
「ありがとう」と…
周りを和ませるような品があり
”良い環境で育ったんだろうな?“と
誰でもがそう思う立ち振る舞い
私の大好きなおばあちゃんの1人です
私の勤めるA棟は約30床
ナースステーションを挟んで
両側に病室があります
ステーションの右側に
4人部屋が4つ並んでいて
奥から女性3部屋
手前に男性1部屋
奥から2つ目の部屋を
入って左手前にYさんはいます
病院は
午後になると面会者が訪れます
しかし
Yさんには面会者が来ません…
いつも一人
ギャッジアップしたベッドにもたれかけ
静かに本を読んで過ごしています
普通に日常の会話はされますが
ご自身のことは
あまり語りません…
以前、夜勤の時
一緒のシフトだった看護師に
少しだけYさんのことを
聞いたことがあります
Yさんは10代後半で
5つ年上のご主人と
ご結婚されましたが
残念ながら
子宝には恵まれませんでした
その分
ご主人とはとても仲が良かったそうです
そして
30半ばでご主人が独立して会社を興し
その会社を
一緒に切り盛りされてきました
また
会社が軌道に乗り安定してくると
ご夫婦で仲良く色々な所へ
よく出かけられたそうです
あまり自分のことを話さないYさん
時々、会話が弾むと
スタッフにポロっと自分のことを
話されたようです
しかし
Yさんが60歳を過ぎた時
とても仲の良かったご主人に先立たれ
お一人で10数年過ごされたとのこと
この病院へ来られたのは1年前
腰痛が酷く総合病院を受診
検査をするうちに
膵臓にがんが見つかりました…
骨転移もあり
腰椎に…
積極的な治療を望まなかったYさん
治療をしないとなると
総合病院で入院は続けられません…
そのため
同じ市内にある
私が勤めるこの病院へ来られたそうです
現在は痛みの緩和をしながら
毎日を過ごしています
そんなYさんの
少し様子が変わったのは
半年ほど経った時でした
いつも読書をされているYさんでしたが
横になっていることが増えました
また
時々険しい顔つきになることも…
もしかしたら
疼痛コントロールをしても
痛みに耐えられなくなって
いたのかも知れません…
そんな日が
1週間ほど続くと
日に日に食欲もなくなり
起き上がる体力も
なくなってきました…
あまり食事を召し上がることが
なくなっても
食事の配膳をすると
身体を起こすことは出ませんでしたが
軽く会釈をして
「ありがとう」と言って
ニコッと笑顔を見せてくれます
とても我慢強い方だったと思います
最初に様子が変わってから
ひと月も経たないうちに
目を開けることも
なくなってきました
私たちの声かけには
少しだけ反応をしてくれていますが
声を出すことも難しそうでした…
Yさんの声を聞いたのは
3日ほど前に朝の挨拶をした時に
小さな声で「おはよう」というのが
最後でした
それから1週間
私が夜勤をしている時でした
ベテラン看護師さんが
「Yさん、今晩かもね…」と
心電図の波形見ながら言いました
最初は何を言っているのか
わかりませんでしたが…
深2時過ぎ
その意味が分かりました…
ナースステーション内で
記録を書いてる時のことでした
小さく間隔を空けて波打つ波形
ピィーッ… ピィーッ…
段々ゆっくりと…
ピィーッ…… ピィーッ……
更にゆっくり…
ゆっくり…
そして
少し大きく波打った時
「こ〜たろ〜君、一緒に来てっ!」
ベテラン看護師が立ち上がり
私に声をかけました
一緒にYさんの病室へ
大きく肩で呼吸していた肩の動きが次第に止まり
微かに顎が動くだけに…
Yさんの両側に私たちは立ち
手を握っていました
数分の出来事が
何十分にも感じる時間の流れでした…
そして
最後は
夜勤者6名に見送られ
Yさんは
静かに旅立ちました…
眠るように
安らかな顔で…
ーーーーーーーーーーーーENDーーー
私たち夫婦にも子供がいません
年を重ねてくると
それほど先ではない
私たちの老後を
時々考えることがあります
すると必ずと言っていいほど
Yさんのことを思い出します…
あの時の手の感触を
私は今でも覚えています…