こ〜たろ〜 の 「介護放浪記」

福祉・介護の世界で着のみ着のままに放浪中~!息抜き8割、本業2割、でなきゃ続けていけません…。

親父の入院…

全国的な雨模様

 

地域によってはかなり強い雨が…

 

皆さんの地域は

大丈夫なのでしょうか

 

 

50歳手前にもなると

それなりに

日本各地を旅行しており

被害に遭われた地域の中には

私自身

沢山の思い出があったりもします…



また、

学生時代を過ごしたのが

学生寮だったこともあり

寮には全国から学生が集まっていました

 

同学年と前後三学年を合わせると

かなりの親友や友人知人がおり

今回の豪雨で

被害のあった地域に

住んでいる親友も数人いました

 

幸い

皆、安否の確認はとれましたが

親戚や知り合いが

大変な状況になっている親友もいました

 

今はこの雨も小休止ですが

地域によっては
まだ数日続くようです…

 

 

ん〜〜〜〜〜〜…、

どうなるのでしょう…

 

皆さんの無事を祈るばかりです

 

 

 

 

 

タイトルの

“親父の入院”ですが

 

皆さんは、ご両親のことを

どのように呼んでいますか?

私は

小学生くらいまでは

確か…

“お父さん”

“お母さん”

 

だったと思います

 

 

中学生あたりから

ヤンチャな仲間が多くなり

“お父さん” “お母さん”

と呼ぶのが恥ずかしくなり

 

“父ちゃん”  (とうちゃん)

“母ちゃん”  (かあちゃん)

 

と呼ぶようになりました

 

高校生の時は

体育会系で

私自身を人前では“自分”といい

親のことを

“父”  “母”

と人前では言っていましたが

家に帰ると

変わらず“父ちゃん“  “母ちゃん”でした

 

そして、親父と呼ぶようになったのは

一緒に酒を呑むようになってでしょうか

 

もともと

私たち家族は

広い家に住んだことがなく

2DKに両親と弟2人の5人で

膝を突き合わせて住んでいました

 

いつも

何があっても必ず顔を見るような環境です

親の顔を見たくない時もありましたし

逆に

顔が見れる距離で

本当に良かったと思う時もありました

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「お父さん!」

「着替え持って来たよっ!」

 

「おうっ!」

「2人だけで来たのか?」

「良く来たなっ!」

ニコニコしながら嬉しそうに笑う父

 

私と一つ下の弟の頭を

これでもかというように

職人の大きな手でなでる

 

嬉しさ半分

周りの目を気にして

恥ずかしさ半分…

少し照れてうつむく私…

 

 

 

 

小学校2年生の時

父が肝硬変で入院しました

私が7歳で

弟が6歳

 

父が32歳の時の話です

 

アルコール性肝硬変…

 

若い頃からかなり酒癖が悪く

私が物心ついた時には

お酒を飲んでた父に

良い記憶はありません

 

ちょうど入院前の父の背中に

赤い小さな斑点があるのを

毎日一緒に行く銭湯で

見つけたのを覚えています

 

「お父さん?」

「背中に何か赤い点々がいっぱいあるよ?」

 

そのようなことを言った覚えがあります

 

少し変わった斑点だったので

子供ながらによく覚えてます

 

斑点から毛細血管が

四方に広がるような感じ…

 

肝硬変の症状とは知らず

指で押して遊んでました

 

 

"蜘蛛状血管腫"だったということは

この仕事をするようになって

後で知りました

 

 

 

小学校1年の時

やっと乗れるようになった自転車

 

一緒に練習していた弟も

幼稚園児でしたが乗れるように…

 

自転車に乗れるようになると

活動範囲が広がります

 

どこへ出かけるのも自転車

 

しかし、活動範囲が広がったといっても

友達同士の家や公園を行き来する程度

 

小学校校区からは抜け出せません

 

そんな小学2年生のある日

母親から1つのミッションが…

 

"入院している父親の所へ

着替えを持って行き

帰りに洗濯物を持ち帰る"

 

という簡単なミッションです

 

しかし

これには少し難関があり

市立病院までの道中

大小様々な道路を横断し

子供の自転車で

30〜40分かかる道のりです

距離にして約5キロ…

 

何度か自転車で

母親と一緒に行ったことがあるので

道順は知っています

 

ただ

今回は弟と2人だけ

ちょっと心細さと不安が…

 

今なら大した距離に思いませんが

あの頃は

とても広い世界でした

 

今でいう“はじめてのおつかい”に

近い心境だったと思います

 

大冒険は大袈裟ですが

子供だけでの遠出です

 

途中、急に脇から犬に吠えられたり

渡る横断歩道を間違えたりと…

 

とても長い時間に思いました

 

病院まで結構汗だくで行った記憶が…

母親と一緒に置いた駐輪場へ自転車を停め

 

うる覚えの記憶で父の病室を目指します

 

弟は見るもの全てに興味があり

キョロキョロしています

 

私は

母親と一緒に歩いた記憶を辿りますが

院内はどの階も似たような造り

 

(確かここだったような…)

 

足取りもゆっくりとなり

確かめるように周りを見ていると

1人の看護婦さんが声をかけてくれました

(今は看護師さんと呼びますが、この時代は看護婦さんでした)

 

「あら?」

「今日はお母さんは?」

 

無言で顔を横に振る私…

 

人懐っこい弟は

右手でチョキの手を作り

「2人で来たのっ!」と

ニコニコ顔

 

私が必死に探していた苦労も知りません…

 

ラッキーなことに

看護婦さんは「お利口さんね!」と言って

父の病室まで案内してくれました

 

 

無事に父親へ荷物を渡し

洗濯物を受け取ると

エレベーターで1階へ

 

病院玄関を出た直ぐ横に

駐輪場があったと思います

 

2人で自転車を押しながら

敷地内から歩道へ出ると

振り返って父親の病室を探しました

 

すると

父親の病室はちょうど玄関側で

5階の窓越しに手を振ってる人を見つけました

 

「あっ、お父さんだぁ〜!」

弟と2人声をあげます

 

手を振る私たちを見て

更に手を振る父親

 

数メートル自転車を押しては振り返り

また手を振る…

 

こんなことを

病室の窓が見えなくなるまで

繰り返し続けていました

 

この時の私たちは

"父親が元気になって戻ってくる"

 

病院は病気を治してくれるところ

そう素直に思っています

 

何の心配もしていません

 

また、父親も若かったこともあり

2ヶ月ほどで徐々に体調も良くなり

元気に退院してきました

 

あの頃は

私だけでなく

家族皆が若かったんだとつくづく思います

 

 

 

あれから40年あまり…

 

 

病気とは無関係だったのですが

 

 

今から2年ほど前

父親が脳梗塞で入院しました

 

 

72歳の時です

 

 

遠方ということもあり

日頃なかなか会うことができない妻を連れて

関西圏から東京へ

 

途中、実家へより母親を乗せ

一緒に入院先の脳神経外科病院へ向かいました

 

病棟へ上がり

父が居る病室へ…

 

4人部屋の右手前のベッドに

父は長座位で座っていました

 

父を見つけた私の第一声は

 

 

「親父っ!」   でした…

 

 

「お父さんっ!」から40年…

 

病室の父に向かって最初に声をかけた時のこと

フッと思い出しました

 

 

お互いに歳を重ねて来たね…

 

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